責任取るから好きにやりなさい

 責任を負うことは、任せきることではない

「わたしが責任をとるから好きにやってみなさい」という発言がドラマなどでよく聞きますが、どうなのでしょうか?

部下にしてみればうるさいことを言われず好きにさせてくれる人は理想でしょうが、権限を越える調整もあるでしょうし、権限内の遂行でもうまくいかないことがあったら困ります。

責任とは何かあった時に謝罪することではなく、結果を成功に導くこと。成功に導けなければプロジェクト管理における責任を果たしていないということです。形上の責任しか問われない組織であれば、だれが謝罪するかという話になるでしょうが、実質的には本人が何をしたかが責任を果たしたかの判断の要素になります。

そう考えると「わたしが責任をとるから好きにやってみなさい」という発言は、丸投げのことではなく、方法論ということになります。

「わたしが責任をとるから好きにやってみなさい」の方法論として、私は2つあると考えます。

①本当に任せる?

場合によっては無条件に好きにさせることがあります。これは任せる相手が自分の責任範囲を理解して行動することができ、その権限を利用して問題なく業務が遂行できると判断された場合です。その場合も報告と相談は常に受けて上司は掌握をする必要があります。これができる人物はかなり優秀で次に自分の代わりに任せることができる人であることが多いです。

②実はコントロール?

単にうるさいことを言われずに好き勝手やりたいだけで報告も上げない者にはここまでは好きにさせることができません。ある程度どのようなことをやるのか計画を詳細にレビューして修正し、合意した内容を遂行させる範囲で好きにさせる場合があります。

その場合は上司としては、本当はいろいろ口出して計画を修正させているが、本人が自ら修正して問題ない計画を作ったように感じさせて、任せるというのが理想です。

気づきを与える質問等で誘導します。

この場合は十分なコントロールの下で行動させることが重要です。

いずれの場合も任せるといっても常に報告を受けて十分に内容を把握しておくことが重要です。責任を負うということは最終的な成果物や行動においては自分が判断したという事実上のハンコを押すことなのです。

まー私は「わたしが責任をとるから好きにやってみなさい」などとはめったに言わないですけどね。